2023/01/29 12:30(JST) Release

構想から約半年、わたしの旗印を世界にお披露目することで、よりいっそう世界にわたしが目撃されることを許すに至りました。はじめまして、ちきゅうゆうえいです。

何を考え、何を祈り、何を許されたくてどのように生きてきたのか。なにを提供しているのか、そして提供していくのか。それらをまとめたインターネット上のおうちを構えたい気持ちが湧いてくるようになりました。

表現を分かりやすく、地上に降ろすことをあえて手放しました。この世界観を好きでいてくれるあなたはたしかにここにいて、そんなあなたがより広い世界へと届けてくれる。そうやって信頼することにいたしました。

制作までの過程において、非常に多くの方の関わりと支え、いつも愛と眼差しがありました。広く深く、感謝いたします。


2年前、通っていたコーチングスクールで、個人のビジョン、ミッション、バリューを作成する機会があった。その当時からわたしは「そのままが美しいのに。どうしていじられてしまうのだろう。」と、切なさや悲しさの気持ちから、”遡上の鯉”という言葉をずっと握ってきた。

何を隠そう、私自身が俎上の魚(鯉)だったのだから。

そのままのわたしが受け入れられ、愛される世界なんてあるのかしら。と、真剣に思っていた。
わたしがわたしであるのか。このキーワードも、2〜3年握りしめてきた。

気がつけばいつも、他者の感情や思考が自分のなかに入ってきていた。自分のなかにいるのは誰?境界線を張って、わたしがわたしであるか、何度も何度も確かめてきた。

ちきゅうゆうえいのはじまり

2022年5月。わたしは熱海に絵を描きにきていた。4泊5日のアート合宿に参加していた。オーガナイザーのしゅんさんと対話の末、ちきゅうを探検しながらスケッチしてくることにした。熱海の街を歩きながら、海のそばのベンチでぼーっとしながら。ただ見たもの、感じたものを具象化し続けた。

それからも、さまざまな景色に出会った。ちきゅうにやってきたスパイとして。しばしば、宇宙ともアクセスをしたがっていた。このときすでに、元より繋がっていたうちゅうとは一度、へその緒が切れてしまっていた。ちきゅうを生き、旅しなさい。そう言われたのだと思って、こわくて、泣いた。

だんだんと、ヒトならではの感情、感覚に意識が向くようになっていった。うちゅうじんとして生まれ、少し先をゆくものたちはこぞって「ヒトとして生きることを受け入れ、楽しむことは、楽しさが2倍になるんだよ」と言った。そんなことあるかいなと、そのときのわたしは信じることはできなかった。

でも微細に、それが気になっている自分がいることにも気付いていた。

わたしがわたしでありながら他者を受け入れ、いのちを流していくことは、記憶しているよりももっと前から探究し、向き合っていたみたい。

居場所がなく、ここではないどこか、私ではないなにかを求めた先に

自分がほんとうの意味で理解されることはないのだと思いながらも、心の奥底では「だれか、丸裸のわたしを抱きしめてほしい」と願ってきたように思う。そうやってずっと、ずっと、遠くを見て、わたしではない何かを求めてきた。

LPC(ライフパーパスコーチング*)のチャートを読み解くなかで、わたしは古いパラダイムのなかで生きていると、つねにここではないどこかに走り回ってしまうことを知った。その通りだなと感じて、これでも随分、グラウンディングの感覚が育ってきたのである。

ライフパーパスコーチング(LPC)とは、タスマニア在住の故マーニー・デューガン氏が開発した占星術の智慧を応用したテクノロジーです。ボンディングチャートというあなた固有の可能性が記された曼荼羅を用い、「魂の目的」と「備えている可能性」を紐解いていきます。

Decem10:https://decem10.com/lpc

他の誰でもなく、わたしがわたしであるか。いま感じていることはわたしのものなのか。そういったことを握りしめ、ありのままのわたしが世界に目撃されることを、少しずつ許してきたちきゅうじんとしての旅路。

そして、いま。ちきゅうにヒトとして生まれたことを受け入れ、自分のなかにある不思議な感覚や世界を形にしていくことの準備ができた。そのように思う。

このWebサイトが、いつ、どんなひとに、どんなかたちで届くのか。分からない人は、引き続き置いていくことにした。サイト制作の過程で、このWebサイトの方針として、もう少し広く届ける選択肢もあった。

でもやめた。

わたしが出会いたいひとたちは、原液劇薬と出会うことでのスパークを喜びとしていると思った。少しでも薄まったものは見逃してしまうかもしれない。もしかしたら違うかも、嘘かも、と思って物陰から出てこれないかもしれない。

ちきゅうゆうえいでの一瞬の出来事を見逃さないで。いまのわたしは昨日のわたしとは別人で、明日にはまた新しいわたしになるから。

たとえいまは誰にも届かなかったとしても。その時差すらも、愛していきたい。そのような祈りとともに、この世界のどこかで誰かに目撃されることを許して。

― ちきゅうゆうえい ―